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関東大震災から100年

佛母寺

更新日:2023/09/01 22:59

1923年(大正12年)9月1日11時58分に起こった関東大震災から100年という時間が経ちました。
今年も本庄市仏教会では、長峰墓地で挙行された本庄市主催の追悼式に伺い、読経とともにご供養いたしました。

関東大震災はもちろん甚大な被害をもたらしましたが、その後の流言飛語によって暴徒化した群衆により、本庄市でも多くの朝鮮人が殺害されました。
毎年9月1日には、全国から朝鮮人遺族の方、その子孫である二世、三世の方々も残暑の長峰墓地にご参集になり、共に慰霊に臨まれます。

再び繰り返してはならない人災を胸に刻み、読経しつつ、先々代住職であった祖父のことを思い出しておりました。

まだ32歳、佛母寺住職になったばかりの祖父は、
大震災の数日後、ある朝鮮人の若者をかくまいました。自警団と称し暴徒と化した市民の「朝鮮人狩り」から逃げてきた人です。

命乞いをする若者を押し入れに隠しましたが、すぐに追手がやってきて、
「方丈!今、寺に朝鮮人が逃げ込んだろう。すぐに出せ!出さないとただじゃ済まねえぞ」と武器を手に凄味ます。

小柄な僧侶ではありましたが、祖父は仁王立ちになり
「あゝ、確かに朝鮮人は居るよ。でもな、寺で、仏さまの前で、見殺しにするわけにはいかないんだよ。もし連れていくなら、俺を殺してからいけ!でもな、よおく聞けよ!坊主を殺したら、お前たちの家は七代たたられるぞ!どうだ!ヤルカ!殺して連れていくか!」と逆にすごんだそうです。

説法の一つも解くなら、僧侶として立派ですが、一所懸命に考えて出てきた言葉が、
「坊主を殺せば七代祟る」というのでは、お粗末なことですが、祖父も必死だったことでしょう。

やがて暴徒はタタルと言われてブツブツ言いながら引き上げていったそうです。

私が幼い時、年に一、二度お参りに見える年配者がいらして、祖父と何か穏やかに
話している姿を目にしました。
祖父は何も言いませんでしたが、総代さんが
「あの人は若い時の住職が、命がけで護った朝鮮人の人なんだよ。」と教えてく れました。

人は正しい情報がない時、疑心暗鬼となり、自ら考えることなしに群れていきがちです。
天災を人災にしてはいけません。
多くの命が教えてくれたことを無駄にすることなく受けとめ、私たち一人一人がしっかりと生きていくことが世界平和への一歩であります。

「インドラネット(帝釈網)」のインドラ、すなわち帝釈天の宮殿を飾っている網。その網の結び目には宝玉がついており、それぞれが互いに反映している。すべての事物が無限に交渉し、通じあっているとされています。
先ずは、「私」から。       合掌