3・11を忘れない

『津波てんでんこ』 (これは東日本大震災発生後、3カ月の時に書いたものです)

津波がきたら、てんでんこ(めいめい独りで)に、たとえ家族であってもかまわず、

自分一人でも全力で高台に逃げろ

哀しいけれど、これは一家全滅だけは避けるために、三陸地方の親から子、子から孫へと伝わる生き抜くための格言だ。

国難ともいうべき東日本大震災で被災した岩手県陸前高田市。亡き父の実家である長圓寺は、その高台にある。

陸前高田を含む三陸海岸地方は、明治二十九年には「明治の大津波」、昭和八年には「昭和の三陸大津波」、昭和三十五年には「三陸チリ津波」を経験している。いずれの時も復興不可能と言われた打撃をうけ、その体験から生まれたのが「津波てんでんこ」である。

「もう葬儀用の焼香が無いんだ。お葬式ができない」長円寺副住職である従弟から、SOSのメールが届いた。

明治、昭和の大津波の教訓で、命からがら高台に逃げた沿岸部漁師町の檀家さんに比べて、十メートルをこす堤防がある安心から逃げ遅れた街中の檀家さんは、日を追うにつれ犠牲者が増え、来る日も来る日も葬儀とお骨の預かりで過ぎ、わずかひと月で七十人近くも弔っているとのことだった。

葬式仏教と揶揄されている檀家寺ではあっても、亡くなられた方をきちんと作法に則って、心を込めておくることが、僧侶の仕事である。

その大切な香が無いとは、さぞかし切なかろうと仏具店にあるだけの香や仏具を積み、日用品をトランクに押し込んで、夜の東北道を北上した。東北道は制限速度表示が百キロから八十キロ、五十キロと変わるにつれ道路の凹凸が増え、それだけ被災地に近づくことを感じさせた。一ノ関インターで高速を降り、しばらくはコンビニもレストランも営業していて、さして変わらない田舎の風景が続いたが、気仙沼、陸前高田と進んでいくと様子が一変した。

テレビや写真で見る風景も、目を覆うばかりの酷さではあったが、それはあくまでも二次元のもの。今ここに広がる風景は、三次元3Dの奥行きと高さを持った恐ろしい光景であった。そして、視覚から嗅覚へ。あきらかに磯の香りとは違う「異臭」が漂い、山であったところは一山ごと津波にさらわれて、谷底になっていた。その上をカモメが舞い、がれきの合間に何百羽といて、何かを啄んでいる。

私が幼いころから知っている、真っ青に煌めく三陸海岸を眼下に控え、後背を豊な緑で覆われた山が護り・・・という陸前高田市とは何もかもが違っていた。

ただ、檀家の網元が一山提供し、腕自慢の気仙大工が建てた長円寺は、高台にあったせいもあり、ひび一つなく、かわらずそこに建っていた。

震災当日、長円寺には276名もの人々が難を逃れ、本堂、庫裡、境内、ありとあらゆる寺内に避難してきたという。

普段は邪魔にされ、田舎特有の嵩張る香典返しであった毛布、シーツは、ここぞとばかりに押し入れから出され、一枚の毛布に4~6人が足を突っ込んで夜を過ごしたそうだ。

「助かった人と、そうでない人とは、紙一重の差も無かったのよ」伯母は言った。そして

「私らは被災してない。寺も寺族も無事だったのだから」とも。東北の人間は、どこまで我慢強いのだろう。命が助かった人が口々に言う。「私は被災してない。もっとたいへんな人がいる」人々は哀しいという感情も、泣くことも忘れたようだったとは、従弟の弁。届けた香は、四十九日の合同法要に間に合い、せめてものご供養になった。

震災から早三ヶ月がたとうとしている現在も、現地には水道も電気も復旧していない。

「何でだろう?」という問いが、間抜けで無神経なものだと、すぐに気づいた。

ライフラインを使うべき家そのものが、見渡す限り瓦礫と化しているのだ。その家に住んでいたはずの人々は未だ見つからず、自衛隊の捜索が続いている。自衛隊の皆さんは、ほんとうに丁寧に、そこに居るかもしれない人を思って、瓦礫を一つ一つどかしては探してくれている。まだ「復興」どころか、支援の段階にも無い、「救済」さえされていないのだ。

それでも従弟は「僧侶で良かった。祈ることができる。何もできなくても、祈り、葬送できる職業は我々僧侶だけだから・・・」と呟いた。

仙台で被災した友人も、「今回ほど葬式と読経を有難いと思ったことはない。人は大切な人、そうでない他人へも自然に両手が合わさるものだね。祈り続けた」と電話してきた。

日本中の誰もが「被災者を助けたい。役に立ちたい。」と思っているはずだ。けれど、焦らないで欲しい。これは息の長い作業であり、道のりだから・・・今できなくても、きっと皆さま方の手を差しのべる機会が来ることと思う。できることから無理なく続けていこう。

「あなたたちのことを忘れてはいない」そのメッセージだけでも、人は掬われるから。

「津波てんでんこ」今後はこの言葉を、家族を見捨てても自分だけ逃げろという意味だけではなく、「災害が来ないことに慣れてはいけない。自然に畏れを持って、祖先からの命がけの言い伝えをもう一度、我が身の内に入れる戒めとして噛みしめなければいけない」と受けとめ、犠牲となった方々、遺された方々への祈りとしたい。共に祈りましょう。

合掌