「 1月のお言葉 」
『 随喜 ずいき 』
明けましておめでとうございます
一年という時間は誰にも等しくございますが、その感じ方は様々です。
おめでとう、という気も起こらないとおっしゃる方もおいででしょう。
しかし、この佛母寺からの年頭のあいさつをご覧いただいているということは、あなたは「いのちがあり、生きて」 元旦をお迎えになったということです。
それはとても喜ばしいことです。
仏教では、徳を積む方法として「随喜(ずいき)」を大切にしています。
随喜とは「人の善い行いを 素直に喜ぶ気持ち、幸せをともに喜ぶ気持ち」です。
随喜することによって、善行をした本人だけでなく周りの者も皆、すべてが徳を積むことができるとされています。
それでも私たちは人間ですから、他人が善いことをするのを「あいつは下心があるんだ」とか、「格好つけやがって」などと、善行を素直には喜べない気持ち、つまり「嫉妬」の気持ちに振り回されることもあります。
どうしようもなく、そんな自分が嫌になることもあるかもしれません。
今の時代、テレビやラジオ、それより早くSNSを通じて、悲惨な事件や事故、災害はあっという間に拡散され知るところとなります。
同時に、震災での警察官や消防署員の勇気ある行動や、以前はあまり報道されることのなかった市井の人々の立派な行為についても、多くの報道がなされるようになってきました。そのような他人の善き行いに対して、何度も何度も見聴きしていくうちに、勇気が涌いてくるのもやはり人間だからでしょう。
希望や勇気が涌いてくるエピソードをたくさん聴き、それを素直に喜んでいくこと、つまり『随喜』することで「自分もそうありたい」と思うようになるのです。
よかったね!と喜ぶことで「嫉妬」の気持ちから離れられることが、己の心を楽にしてくれるからです。
大切なのは、その先、この喜びが一切衆生(いっさいしゅじよう)に行き渡るようにと願うことです。
『随喜』の芽は、私たちの心の中に必ずあります。
その善い芽を枝として伸ばしていく、そんな令和七年の一年間としてまいりましょう。 合掌
高野山真言宗 龍蓋山佛母寺 住職 中島隆信
令和七年 正月元旦